基準、即ち結果
基準は、別の表現をするならば、
目的とも目標とも言えます。
この地球に起きていること、
存在しているあらゆる事柄は、
多かれ少なかれ自分と繋がっています。
しかしながら、
最も認識すべきことは以下の事です。
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何かを思考するとき
企画するとき、
それがなんであれ、
人には何かしらの目的があり、
目的に付随して目標も行動も質も変わる、という事実、
つまり、
基準=結果、だということ。
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普段からどのくらい意識できるか
それが、結果を左右しますが、
その目的の質が高ければ高いほど
目標もかわり、行動が変わります。
故に、
行動が変わらないのは、
自分が決めた目的を本気で望んでないか、決めきれずにいるか、
それが自分に相応しく無いか、
自分に自信がないか、
または依存癖があるか、
恐れがあるか、
トラウマでガチガチになっているか、 あ
など、様々な複合的な理由があります。
けれども、
それをどうやって判断したらよいのか。
そして、
その目的が高いとか質が高いとか、一体どのように判断したらよいのでしょう。
私自身、かなり悩んだ時期があります。
でも、その答えは案外シンプルでした。
いつも、何を基準に行動するか、
そこから、見えてくるものがあります。
自分の幸せだけを望む
誰かに勝とうとして闘う
家庭の幸せだけを望む
お金の為に仕事をする
自分の働く会社の業績だけを望む
自国の幸せだけを望む
アジアの幸せだけを望む
世界全体の幸せを望む
どれが本当の意味で高い目的でしょうか。望みは、その人にとっての行動基準です。
世界全体の幸せを望むとき、
最も困難な道が待ち受けているかもしれません。
自分を最も成長させる明らかな道になるかもしれません。
しかし、越えてきた先人たちは
決して安楽な道を歩いてきたわけでもなく、むしろ、苦しみを苦しみと感じないくらい、実行することに、情熱を捧げてきたように、想います。
間違えようの無い確かな道であり、
歩くにふさわしい誠実な道、
国連難民高等弁務官緒方貞子さんの
歩いた道のように。
基準が、ぶれないならば、
いま出来ないことがあっても、道半ばで諦めることは無いでしょうし
上手くいかないことを他人のせいにすることも無いでしょう。
すべからく
人生の道は自分で決めている、と
自覚出来た時から、二度目の人生は始まり、イバラの道であっても、確かな道を確信は、自分を支えてくれるものです。
もし、世界の幸せを望んでいても、
全く行動基準を変えられないなら
自問自答して見ることや、
心の動き、感情、
エネルギーをよくよく観察し、
自分の価値観を振り返り、
また自分の五感に相応しい仕事をしているかどうか、観察して観る事をおすすめします。
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