この文章は、聖クリストファー大学の、鈴木光男先生のFacebook 投稿の丸ごと転載です。
鈴木光男先生プロフィール
50にして小学校美術教員から、大学教員に転職した通称” ライトマン” 『子どもたちの造形とジュピロ磐田の熱きサポーター』を自認
(実は鈴木光男さんは、Cecilia の絵のコレクターです。この記事は、許可を得て、転載しております。)
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「スクールマッサージ、始めます!」鈴木光男
何だかこの20年くらいですっかり固くなってしまった学校教育のマッサージを始めようかと考え始めました。
2000年の頃、学校批判や教師批判はすさまじく、学校と保護者・地域の関係はかつて無いほどプッツリと切られてしまいました。
そうした中で、学校教育は管理と監視に重きが置かれ、学力低下批判・ゆとり教育批判も手伝って、えらく評価ばかりを気にする風潮が当たり前になってしまいました。
私たちが望んでいた学校教育は、このようなものだったでしょうか?
私たちが夢描いていた社会は、このような社会だったでしょうか?
かつて上野紀行さんが「日本は経済不況ではなく、生きる意味不況だ」と語られましたが、正にそのとおりだと思います。昨今では、それが小学校や中学校の児童・生徒にも及び、学校は彼らから「生きる意味」「学ぶ意味」を奪ってしまうようなことになっている気がします。
これは、何も日本だけのことではないのでしょう。急激な変化の中で、何とも苦しくって、ついついそうなってしまっているところがあります。私も小学校現場に身を置いていましたから、よく分かります。アメリカでも、ケン・ロビンソンは「学校教育は創造性を殺している」とTEDトークで語っています。書籍販売され、大反響を巻き起こしていますね。
世界中いろんな課題を抱えていますが、このコロナ禍により日本の学校教育のガラパゴスぶりが露呈されたのは事実です。やはり、時代が進んだのに学校教育は後退し硬直化している気がしています。
「先輩の前で腰を下ろすときには『失礼します』と言っている。これは校則ではなく、子供ら自らがやっている」
「中学では座る際にそのようにしているから、小学校6年生のうちから準備のために座る時には『失礼します』と言うように体育の授業内で指導する」
「特別教室や体育館への移動は、クラス全員で並んでいく」
などなど、教育的に問題があることが今の学校にはいっぱいです。
これは一頃、中学校が荒れたときに生徒同士の先輩・後輩という関係性を強化して、その悪しき構造を利用して生徒指導をしようとした先生たちが多く居たことが由来ではないかと思っています。3年生の上さえ押さえれば、学校中の生徒指導がやりやすいという考えです。悪いことに、そうしたことをやって学校を静かにさせた先生が、生徒指導力があると評価されもしました。
しかし、これは先にも記した通り「悪しき構造」です。
いつしか我々は不自由に慣れてしまっていたのです。これって、かつてフーコーが言った「自分で自分を縛る」と同じ事です。また、フロムは「自由からの逃走」としてナチスドイツが台頭したころのことを語っていますが、あまりに自由であると不安になり、全く正反対の方に向かってしまいがちなのですね。
学校も2000年頃からの学校批判や教師批判に晒され、その中で“防御”するため管理や監視が強まりました。本来、学校教育は子供を自立させることが目的であるのに、子供自身が自由に考え、自立していくことを阻害・抑制する方向に向かってしまいました。
それに伴い、先生方もいたく不自由に見えます。
学校教育でまずすべきことは、偏見と差別の構造を無くすことです。生徒同士が「先輩だから」として「失礼します」なんて言わせているとしたら、それこそ教育の力で、人間としての生き方を指導すべきです。これは、年長者へのリスペクトを否定するものではありません。
形骸化した悪しき構造を基盤とした、そうした誤った価値観を是正すべきです。
それを強化していくと考える力を奪うばかりです。
それが、今や学生の入学式の服装にも表れているように思います。標準服として黒いスーツばかりです。以前はそんなことはありませんでしたね。もっといろんな色を着ていました。
同じように、「自由なテーマで字数も自由」なんてレポート課題を課すと、学生からは「自由とは言っても何文字くらいがいいんですか?」「どんなテーマが評価されますか?」と質問が来ます。「自由」と言っているのに、自らそこに枠をはめたがります。そして、ある基準を示そうものなら、全員が同じようなレポートを提出します。自分で考え自分で行動する力が弱められ、常に他者評価を気にしています。
ソサエティ5.0の時代の教育を進めなければならないのに、現在の教育はいつの間にかソサエティ3.0に逆戻りしてしまいました。
固くなった学校を、少しずつ柔らかくしていきませんか?
私は上述の通り「スクールマッサージ」をしようと思い始めました。無理矢理、新たな教育観を押しつけるのではなく、固くなってしまった学校を少しずつもみほぐす感じで-。
固くなってしまった事情も背景もよく分かりますから-。
先生たちと子供たちの幸せのためにって思います。
「並んで教室移動」、全くもって考える力を奪います。なぜ、そのようなことをするのかを改めて問いたいです。そこに、どんな教育的な意味や価値がありますか?はなはだ疑問です。真に賢い子供を育て、未来を明るいものにしてあげたいです。
「スクールマッサージ」…何から始めていいかは分かりません。
それでも先生方や保護者・地域のみなさんを交えて対話しながら、教育を、子供の未来を考えるようなことをしたいと考えてます。
毎年とある小学校でやらせてもらっている「コミュニ寺子屋」のオンライン版が適当かな?
そんなイメージを膨らませ始めたところです。
※写真は、上で触れたケン・ロビンソンの主張が述べられた書籍です。
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いかがでしたか?
^^
pandemicは
様々なことをもたらしました。
決して、良くない事だけではなく、
意識改革に繋がる動きが、
確実に広がっています。
私自身も、帯を締め直しましたし
沢山の気づきがありました。
長期的な、取り組みを必要とすることや、
途方もないような活動目標やら、
歩み始めました。
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感性教育研究Artlosophy
founder 齋藤セシリアかおる
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Microsoft サティア・ナデラから学ぶこと: 自分の再発明とは
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