信じてることの強さと脆さ 疑問を持つことの可能性と自由度  思考の枠の外に示される道

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信じてることの強さと脆さ

疑問を持つことの可能性と自由度

思考の枠の外に示される道

夜中に起きて、

またエンジェルナンバー111/333を見て、😆どうしても忘れないうちに書いておこうと思って今書いてるんですけどね。笑

夜中にお母さんのための玄米リゾットとか作ってるうちに、ついに朝になってしまいました。笑

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さて、本日は久しぶりにちょっと面倒臭い内容。かも? 笑🤣

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わからないと言うこと、

わからないと言う余地を残すことの大切さを

噛み締めている。

ことに関しては、いつもあのなくなった井上倫宏さんがそうだった。そーゆー台本を大事にしていたと思う。何かを自分の信じたことを信じ込ませるような、そういうものには着手しなかったと思うんだ。

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これ、ちょっと抽象的な話で

分かりづらいと思うのですが、、、

音楽や絵画を制作するときに、

あるテーマを持って取り組む際、

“自分がわかってるなぁと思うこと”を、

“こういうことですよね” と言うふうに

それを確かめるように表現することと、

“それはどういう意味なんだろう?”

と言う気持ちを持って挑むこと” とでは、

そこで、見た目では聞いた感じでは同じような表現をしても、醸し出す全くエネルギーが違う…

要するに意識や態度は、表現に直接影響を与えるテクニックにすごく影響与えるだろう。

だから、わからないと言う姿勢は、つまらないことじゃない。

私はむしろそれが面白いと歓迎する。

今、自分がわからないなぁと感じている事でも、雪が降ったばかりの新雪の中を☃️

自分の足で自分の行きたい方向に、確実に足跡をつけ👣、歩いて行くことできるだろう、から。

なんでこんな話をしてるかと言えば、

昨日ブルースところで、ベートーベンのロマンチックな弦楽四重奏と、山口五郎先生の尺八を聴いて、その違いは、すごく大きかった。

昨日はベートーベンの後期の作品を

聴かなかったけど、….

ベートーベンの後期作品は、インド聖典の影響を受けていた事は結構知られている__彼が中期に作っていたロマン派的な作品とは明らかに違う意識の姿勢で作曲されている、

のではないかと私は推測している。

これは今書きながら考えた事なんですが、

山口五郎先生の尺八の音が彷仏とさせる、

この宇宙のある次元と、ベートーベンの第九のクライマックスで表現される歓喜のエネルギーは、全く違う表現ですが、私の想像ではどこか似てるような気がしたんです。

疑うことの大切さ、もうちょっと良い言葉を使えば疑問を持つ大切さ、を噛み締めているわけです。

疑問持つと言う思考のエネルギーは、

私にとって、それは、答えを持ったがないが故に、宇宙に向かってダイブするような

全方向的な自由な遊泳のようなもので、凝り固まった思考の囚われやこれまでの思考パターンを外し壊していく行為に、似ている。

人は宗教的な考えやそれを裏付けるその人なりの科学的思考を千差万別に持っていて、

その信じていると言うエネルギーに則って、何かを表現するのと、未だ答えがわからずと思って表現するのと、おのずと表現されるものに込められるエネルギーは変わるだろうと言うことだ。

ブルースと、

ちょっといろいろ何かやろうと

計画している。

それをするにあたり

何が分かった事をしようとするのではなく、

プレイヤー側もそこに聴きに来る人も、

その境界を越えてそこに集う全ての者同士が、何かを知ろうと切磋琢磨してコミニケーションしていくような、それを行うこと自体が、人々の心をカルティベーションしていくような、そんな場が作れたらいいなぁと思ったのでした。

要するに、そこで心が触れ合いながら

自分たちの心が育まれる、と言うことが、

何事においても大切な姿勢ではないかと。

こういった感じ方も、このようなシンプルな考え方も、昨日あの自然の中で、音楽を体験した事が大きかった。この身体感覚、感情で体験することの大切さを噛み締めています。

全く新しい道=自分の思考の外にある本当の自由への道=宇宙を作った神意識=今自分に必要なインスピレーションを受け取ること、頭で答えを出さない大切さを噛み締めています。

でもそれを一体どうやって?

って思いますよね。

だから、思考を超えた、

音楽や芸術の体験と言うのは

すごく大きい。

でもそれを体験するにあたっても、

ある種の準備は必要でしょう。

そうしないと

色メガネをかけたまま体験しても

深く豊かな体験は見込まれないからだ。

常にどんな時も宇宙に、

そんな畏怖を持って、

どんな人に対しても物事にも、

向き合う大切さを噛み締めている。

何か確信を持って行うことの強さと脆さ、危うさを感じているのだ。むしろわからない、と言う疑問の気持ちが、私たちのあらゆる在り方を表現を自由にしてくれるのではないかと。

クリエイティブの領域に新たな示唆がもたらされたのも、ブルース言う1つの魂に出会えたことが大きいだろう。壇上和尚に声をかけていただいて、日比谷シャンテで、奥様の萌子さんもご一緒して、みんなでご飯を食べたとき、ブルースが言った一言思い出す、セシリアは初めて会った気がしない、と言ってた。。

なんでそんなこと思うのかなあと思ったけど、

あの感覚はやっぱりするとかったんだね!

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PS. さっきブルースが共演したことのある、日本では著名なアーティスト、長野オリンピックパラリンピック、地球交響曲などに出演された、

Sujanオズボーンとつながりました。

私は彼女の哲学が好きです。歌を教えると言うよりも自分の声に出会ってもらいたいと、そういうワークショップをしているそうですが、私はその考え方が大好きです。これについてはまた別の投稿でアップします。 こうやって、壇上和尚やブースを通じて巡り会えたこと、この地球ってすばらしいですね、この宇宙ってすばらしいですね!

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Spotify : Bruce unit : Celestial https://open.spotify.com/track/6oeghgNIGYHp9F3mYYRENk?si=HXtaq7sKQLy1IvFZuyg5jA&context=spotify%3Aalbum%3A62UVUjLzL9949801szXJb7

わからないという余地とは

画面の中の余白のような

文と文の間にある、広大の行間

のようにも思えてくる。

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#Soul_Navigation

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