本当の意味で与えたいなら、、、
受け止めていないと与えることができない。
今更のようですが、
このことをもう一度確認したいと思う。
これは母性や父性を考える上で、
すごく重要、ですよね。
私の両親も自分が思うところを子供たちに与えたいと言う気持ちがいっぱいでした。だけどその前に子供の資質を理解しているのか把握しているのか受け止めているのか、、と言うとその部分は非常に疑問でした。
私の両親は子供の資質を理解し受け止めることのできない人たちでした。だけど彼らはもちろん一生懸命だったのです。
◇ ◇ ◇
この絵は2018年に亡くなった私の兄のへのオマージュのために書いたものです。
彼は紆余曲折あって、32歳で日本の音楽大学作曲を卒業しパリに留学、そして、フランス文化庁の仕事をしながら25年間パリで暮らし、2015年に肺癌を発病し日本に帰国し、2018年に亡くなりました。
兄は、子供の頃より音楽の才能があり、東京音大を首席で出た従姉妹が私たちのピアノの先生でした。兄が私立中学に入って間もない頃、うちのお父さんは、兄のピアノを止めさせました。その時にその従姉妹は家に飛んできて、お願いだから◯◯ちゃんにピアノをやめさせないでください!彼には才能があります。とお願いに来たのです。
ところがお父さんは鮪屋になるのにピアノは要らないと言って頑として聞き入れませんでした。我が家は築地、東京卸売市場、まぐろ問屋でした。
それで音楽と言う心の糧を奪われた兄は、登校拒否になってしまい、挙句の果てには通っていた私立のミッション学校を退学せざるをえなくなり、ついに夜間の都立高校に通うことになった。
しかも、朝は早くからどこかの工場にアルバイトに行っていました。それは学校に行っているそぶりを見せるためのカモフラージュのためでした。そこから帰ってきてから兄は夜間の高校に通ったんです。
( そのような家庭が、どのようなものであったか想像できますか?私は今思い出しても胸が苦しくなります。私も芸術の道を志しましたが、両親には反対されましたが幸い、おばさま達に後押しされて、大学に通わせてもらうことができました。)
その後、彼は自分の道を見失い夜間高校に通って理系の大学を目指しましたが落ちて、、父に罵倒されていました。父は非常に頭が良かったんです。東大生出て埼玉県の教育長になった人が、うちの親戚にいますが、実はその人の東大の卒業論文を書いたのは父でした。
今は兄が他界しているので、これは身内の恥のような話ですが、、、、今日という今日はいよいよ、このことをみんなにお知らせしないといけない。こんなことが皆さんの家に起きないようにと言うことを本当に心から願っているんです。
なぜ私が、
今のような活動をしているのか
これでよくわかったと思います。
◇ ◇ ◇
そして私の兄が、どうやって音楽大学、パリまでたどり着いたのか知りたいですよね?
兄は結局、大学に2回落ちたので、父の店の丁稚奉公に入りました。それから1年経った時、彼にはお給料が入っていたので、それでピアノの練習を再開しました。もう自分のお金でやっていることなので、父は趣味だと思っているし、何も文句は言いませんでした。
それから、時は流れて27歳。
彼は話があると言って両親と私を部屋に呼びました。そして、僕は来年音楽大学を受験する。もう今更僕はピアニストになることができないので、作曲科を来年受験して、もし落ちたらこの家を出て行きます、と言いました。
父が驚いた事は言うまでもありません。
無理矢理やめさせた音楽、、、
実は母はすごく音楽を愛する人でした。
だから彼女は喜びました。
そうやって翌年彼は無事に音楽大学の作曲家に合格し、4年間の音大生活がスタートしました。彼はそこで大変よく勉強しましたそして自分のオーケストラを2つつくりました。
そして指揮もやっていました。
そして32歳で大学を卒業してパリ音楽院に留学したのです。
幸い我が家には商売をしていたので、留学するだけの費用はあったわけです。そして父は本当に泣いて泣いて泣いて兄に謝罪しました、俺がお前の人生の邪魔をした、と。
父はその後、脳内出血を起こし仕事リタイヤせずえなくなっていました。弟が店を継いでいました。( しかし、弟も2018年に、兄より数ヶ月前に亡くなっています。その時の兄の嘆きは本当に心が痛みます。弟が自分の代わりに店を継いでくれたおかげで、僕はパリに留学することができた、と兄は弟に恩義があったのです。それが兄の死期を早めたと思います。母は父の代わりに店に入り、兄にいつもお金を送っていたのですが、これが家の雰囲気を壊すきっかけにもなりました。弟はそれに非常に嫉妬していましたし、兄のために商売に苦しんでいることが彼には受け入れがたいことでした。このことで母は責められも苦しみました。そして父は発病してから9年後亡くなりました。兄は父が亡くなった後も、まだ父のことを許せない気持ちだったと聞いています。)
数十年にわたる、我が家の顛末を短くまとめましたが、
ここに横たわる問題は、下手をすると皆さんの家にも降りかかる原因にもなっているでしょう。多かれ少なかれ似たようなことが起きていると思います。
子供の進路がわからない、
良い大学を行ったものの
良いところに就職ができなかった、
良いところに就職できてものの、
たいしてお給料が上がらない、
結婚したものの
良いお嫁さんが来なかった、
子供の教育がうまくいっていない
エトセトラエトセトラ、、、、
なんで、
こんなことが起きるのでしょうか?
これはひとえに、、、
自分の持っている資質を
見つけられなかった、
認められなかった
それを出す機会を抑えてきた
社会のシステム、
コントロールに自分を合わせてきたことに
原因があるでしょう。
私たち一人一人、
他人が用意した箱の中に
生きることはできません。
これはあまりにも
深い意味を持っています。
私は早く他界した兄のことを
弟のことを考えながら
両親を責めているわけではありません。
それよりもむしろ、
本当は両親こそが、
自分自身の道を歩いていなかったなぁ
と思い至りました。
親は子供のことを思い
いろいろなことをしてあげたいと思う。
そして自分が良いと思うものを与えたいと思う、その道に導きたいと思う。
だけど親自身がまず、
それができていなくて
どうやって子供を導くことができるんでしょう?
今からでも遅くないので、
本当に自分の道を歩んでもらいたいと心から思います。
今ここから私たちは
人生を切り替えることができます。
この世界は
ご存知のように
男性エネルギーの
ネガティブな側面が、
このような社会を作っています。
これに自覚的な人はどのくらいいらっしゃるでしょうか?
なぜ、女性性の開花が、
急がれるのが必要なのか?
今この瞬間にそれを開く必要があるのか!!
女性性の開花は、
今この社会に最もかけている、
母性と慈愛のエネルギーを開き、
私たちが何をするにも基本となるMind、
思考が現実を作るわけですから、
その思考のバランスに関係する、
母性と父性の両方のエネルギーの開花に
つながるからです。